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英雄?悪魔?「戦争」について

No.97
1 半蔵 2004/11/24 Wed 10:56:41
スレ違いのネタになってきたので、専用スレ作りました(^^;
>ベルツ中尉さん
ナガセやヴィスナの女性パイロットの台詞ですが、僕はあの気持ちがわかる気がします。
というのも他のゲームで「個人的に恨みがあるワケじゃない、戦場で敵味方に割り振られただけ(byメ○ルギア○リッド)」というような台詞を目にしているからです。
相手が敵陣営の兵士であったとしても、いわゆる「親のカタキ」かどうかは別問題というわけですね、
特に戦闘機のドッグファイトなんて努力と才能がなければ強くなれません、
戦えば相手の技量が見抜けるはずですから、ヴィスナがラーズグリーズの技量に、
ラーズグリーズがヴィスナの技量に対して尊敬の念を抱いても不思議じゃないと思うんですよ。
(AC4での黄色13とメビウス1も最終的にこういう関係だったと思う。)

ましてM27では、両者とも一部の兵士達が戦争の実体に気付いて、
オーシアやユークという国など関係無く、ベルカの逆恨みによって始まった戦争を止めるために立ち上がったのですから、そこで味方同士となれば仲間意識も生まれるんじゃないでしょうか?

そして更に付け加えるなら、「仲間を殺したからユーク(オーシア)はみんな敵」という考え方は、まさに憎しみを駆り立てようとするベルカの思うツボだと考えられます。

もちろん僕は実弾で撃ち合いなんてした事ないですから、実際の戦場でそんな感情が湧くかどうか、本当の所はわからないですけどね(^^;
2 ベルツ中尉 2004/11/24 Wed 12:19:27
>半蔵さん
スレ立て、乙です。敵であれ優れた戦士に尊敬の念を抱く、本当の悪を叩く共闘意識、等の感覚はあり得ると思います。私がひっかかっているのは、そういう感覚をちゃんと疑似体験させてもらえたか?です。製作陣に「こんな低い(浅い)表現・構成力で戦争なんてヤバいものを描くな!」と言いたいです。
3 半蔵 2004/11/24 Wed 12:34:43
>ベルツ中尉さん
なるほど、もう少しユークのエース部隊「ヴィスナ」との戦闘を掘り下げた方がわかりやすいかもしれませんね。
ヴィスナに対する言及が、クルイークでの戦闘時のグリムの「うわっ強いよコイツ」とか、
M18+でのナガセの台詞ひとことのみでしたし。

空戦中にヴィスナのパイロットが「貴様らに恨みはないが、俺達も味方を守らねばならん(ちょっとクサイか?)」くらいの事を言っていれば・・・とか想像してみたり。
4 ベルツ中尉 2004/11/24 Wed 13:18:46
ヴィスナと遭うクルイーク攻防戦は、サンド島部隊にとってはダベンポート中佐を失うことでユーク軍に対する敵愾心がはっきりとした時の出撃です。自分は友軍の進撃を助けるというより恨みはらすかのように機銃掃射をしてしまいます。そんな戦いの後にナガセのあの台詞を聞くとげんなりします「!?何言ってんだナガセ。チョッパーが落ちた後のあの機動はどうした。空戦を楽しんでただけなのか。おまえ本当に戦争がすきなんだな」と捨て台詞が吐きたくなります。人間そんなに気持ちの切り替え早くないぞ。つまりこういう流れ(構成)がダメなんですよ。
5 マカロニ 2004/11/24 Wed 16:27:23
初めて投稿させていただきます。皆さんの意見を読ませていただいて、思うところがあるので長文で失礼します。

ベルツさんの意見についてなんですが、基本的に人間の「怒り」と「悲しみ」という感情は、同じ「現実を直視できない」状態になったときに発生するものです。あまりに厳しい現実(チョッパーの死)を目の当たりにすると、瞬間的には怒りを覚えますが、その現実を理解できるようになると悲しみを覚えます。ナガセは戦友の死を直視できるようになり、こんな自分の感情がこれ以上広まらないで欲しい、と思ったのでしょう。

ストーリー上での戦争についての描写は、この作品で十二分にされていたと思います。前作は黄色中隊との関係から戦闘機の純粋な美しさを、"ACE"という存在を強く印象付けた作品でした。しかし今作は仲間という視点を通して、戦争の意義しいては戦闘機そのものの存在意義を問いかけた作品になっています。アークバードの存在やナガセの言葉がその一例でしょう。

戦闘機とは本来「人を殺すもの」です。しかし空を自由に飛びまわれるという、人間が古い昔から抱いてきた「夢」の機械でもあります。その戦闘機(科学の力)をどう使うかは人間しだいです。ゲーム内で、ベルカは核を用いて憎しみをはらすために使いました。ブレイズ達は戦争を終わらせるためとはいえ、結局人殺しに使いました。

エンディングで大統領が、我々にはまだ時間が必要、といったのは製作者の方たちが、現代の人間の生き方に対して疑問を投げかけたものだったのかもしれません。そこまで考えていたかはわかりませんが、少なくとも戦闘機ゲームにおいて「核」というキーワードを使った以上、そこに大きなウエイトが置かれていたことは間違いないと思います。

ただ、若干わかりにくいところ(無線等にあまり気を配れない?)があるので、個人的にはもう少しストーリーを「厚く」してもよかったかな、と思います。
6 すとらいく 2004/11/25 Thu 01:45:14
はじめまして。 生意気ですが私の意見を聞いてやってください。

戦争だけではなく家族や友人など大切な人を殺された時に生まれる感情は、ベルツさんのおっしゃるとおり「恨み」や「憎しみ」です。そして次に出てくるのが「あいつを殺したい」といった感情です。確かに、チョッパーが死んだときナガセやグリムも「恨み」の感情で戦ったと思います。私もその一人です。

ですが、考えてみてください。「憎い」だから殺す。それで戦争は終わりますか?
 私の答えはNOです。もし終わると思ったのならそれは違うと思います。現に我々の住んでいるこの世界も終わるどころかどんどん広がっているじゃないですか。

「恨み」を持ったまま敵を倒してすっきりしましたか?むなしい気持ちになりませんでしたか?
 ナガセたちはそれに気づき仲間の死というものを乗り越えたのではないでしょうか。
作者は私たちに気づいてほしかったんだと私は思っています。

私は「大切な人を殺された」ということが無いので本当に乗り越えられるかはわかりませんが、考えることは出来ると思います。

すべての人の考えが同じではありません。ですからなにも、「考えを改めろ。」とは言いません。私の国語力でどれだけ伝えることが出来たかはわかりませんがまずは考えてみてください。

チョッパーが最後に歌った曲がロックではなく平和の歌だったというのも何かのキーワードだったのでは?と思っています。

なんかよくわからない文章になってしまいましたが、
どうも横から失礼いたしました。m(_ _)m
7 半蔵 2004/11/25 Thu 13:33:42
チョッパーが撃墜された直後のナガセ&グリムの機動は怒りの現れ(当然)でしょうけど、
クルイーク要塞攻略戦の時にそのような(怒りの)台詞ってないですよね?

チョッパーはスタジアム上空での戦闘前に平和の歌を歌った後にこう言ってました、
「俺達だって敵と仲良くしたいんだ!って心意気の歌だぜ(だったかな)」
スタジアムから聞こえてくる観客の歌声をこのように解釈したという事は、
チョッパーも「戦争なんて御免だ」と思っているからでしょう、
M2でも「無人機なら気楽に落とせるな」みたいな事を言っていますし。

しかしチョッパー生存時のサンド島部隊は、ラーズグリーズと呼ばれようが何だろうが、
所詮はオーシア軍の「駒」の一つでしかありません、ナイトだろうがポーンだろうが、
ただ強いだけの駒です。
命令された通りに飛ばねばならないし、戦場では目の前の相手が味方なら手助けし、
敵なら撃つ義務があります、兵士という道を選んだ以上それは避けられない。

チョッパーが戦死してしまったからこそ、ナガセやグリムは本当はクルイーク要塞攻略戦に出撃したくなかったのではないでしょうか?
要塞攻略戦開始時に地上の味方から頼られる内容の通信があります、これがこの時のサンド島部隊唯一の戦う理由なのではなかったかと思うのです。
ナガセがチョッパー戦死の怒りに燃えて出撃したのなら、クルイークからの帰路で8492部隊と遭遇し、罠にかかり、グリムから事の真実に気付いた台詞を聞いた時、彼女はあんなに冷静でいられたでしょうか?
チョッパー戦死の直前に彼女はこうも言っています、
「何かの生贄にされている気が・・」
ユーク以外の大きな敵の意思(敵)の存在に薄々勘付いていたと思われるフシもあります、
本当の敵はユークではないという事に。

少なくとも僕はこういう風に解釈していますが、いかがでしょうか?
8 Forus 2004/11/25 Thu 13:41:38
えーとスレ違いかもしれないんですが

司馬遼太郎「坂の上の雲」によれば(個人的には奴が先入観なしで文章書いているかどうかは謎ですが)日露戦争のときに、日露の騎兵たちはお互いに敬意を払っていたと言います。また旅順攻略戦の時、余りの死者の多さに、双方が停戦して遺体回収した時、ロシアの士官が日本の士官に向けて敬礼したとも書いています。もっとも司馬は、この時代が、戦争において敵に敬意を示せた最後の武士道、騎士道的時代であったと主張しています
9 よしけん 2004/11/26 Fri 00:21:14
M18+について自分の意見をちょっと。半蔵さんと同意見なので少しだけ。

途中の選択、敵に背を向けてでも逃げるでいいえを選択すると、グリムにも反対されたと思います。ナガセの心情がどうとも言っていますし。
ただ憎しみに駆られているだけであれば、全機撃墜の道をえらんだブレイズに賛同の意見を述べると思います。
あとは、ゲーム内ではM17とM18の間には少し時間があるはずですし、「戦争」という特殊な環境下であることを考えれば、それほど人間として無理のある感情の動きだとは、自分は思ってません。やっぱりナガセさんも戦争は嫌いなのでしょう。
10 ベルツ中尉 2004/11/26 Fri 06:11:36
沢山のレスありがとうございます。

みなさんのお考えは、コントローラを置いてからなら理解できますが、(少なくとも自分は)コントローラを握っている時にそれほどロジカルには考えられません(考える余裕がありません)。


ACE5は各種の「戦争は止めよう」「戦争は無意味だ」発言に頼るわりには「敵に撃たれて死ぬこと」をひたすら覆い隠し、戦争と死について言葉によって『考える』機会を与えようとしています。AC04はプレイヤーに対して「お前は戦闘をしっかり楽しんでるな。よしよし。でもな、お前がもたらす死とはこういうもんなんだぞ」(悪魔の言葉?)を『感じ』させようしています。

どちらが戦争を抑止(拒否)する効果、とくに平時の反戦運動ではなく、徴兵され「お前が敵前逃亡で処刑されるか、敵を撃ってお前が生き延びるかを選べ」と言われた時の効果を考えています。そういう時代が日本に来る可能性は少ないかもしれませんが、ACシリーズは実際に戦争をやってる国の人もやってるはずし、前線でも息抜きにプレーしてるかもしれません。...A04の戦意への影響に驚いた....とすら疑ってしまいます。コントーラと銃を置き換えてみてください。

なんであれ、皆さんが戦争・戦闘マンセーでは無い事に安堵しました。
11 ベルツ中尉 2004/11/26 Fri 07:59:02
連レスすまソ。ナガセとヴィスナについて言えば、シャンツェ上空での再会で
ナガセ「あなたはもしかしてクルイークの?あなたのようなパイロットと一緒に飛びたかったわ。もうすぐ戦争が終わる。蒼い空でもう一度合いましょう!」
ヴィスナ「あなたは私の同胞を何人に殺したか分かってるの?あんたにはこんな空がお似合いよ!」
ナガセ「そんな...」
こんな感じの方が戦争・戦闘に対する嫌悪感を強くできたはずなのに...
12 マカロニ 2004/11/26 Fri 10:42:53
失礼な言い方になってしますかもしれませんが、ベルツさんがさきに「マスメディアは戦争を抑止しなければならない」とおっしゃっていらっしゃったのですが、それは基本的にしてはいけないものです。マスメディアは客観的事実のみを伝えるのが義務であり、それ以上のことはしてはいけません。「反戦」を唱えた時点ですでに主観的判断が存在してしまうからです。

戦争、人殺しはいけないものというのは、私たち日本人にとって当たり前のように存在する大前提であって、正しいかどうかとは本来切り離して考えなければなりません。例えば、世界中から敵視され続けているビンラディン容疑者はこちらから見ればあまりにありえない"悪"であっても、一部の人々にとってはカリスマであり、それこそACEです。重要なのはできるだけ客観的事実のみから、その事柄に対する自分自身の価値観を打ち立てることであって、それは結局自身の拠り所に由来してきます。

人間は理性という素晴らしいものを持った反面、それにより個体ごとに基準がかわってきます。自身の拠り所がキリストだったり、釈迦だったり、アッラーだったり、麻原だったり・・・。そんな世界で今、日本を始め多くの国で取り入れられているのが多数決という原則です。この原則で立法も行政も司法も成り立っています。そしてその真ん中にいる私たちとの架け橋になるのが、マスメディアです。よってできるだけ主観的判断を排除しなければならず、だからこそそれとは別に自由に意見できる、言論表現の自由があるはずです。戦争に賛成しかねるのが正しいのではなく、その意見の人が大多数というのが本来の理解の仕方ではないでしょうか?

私はACがひとつの作品だと思っています。だからこそ自由に戦争等を描け戦争に対する嫌悪感があっていいのだと信じています。ただそこから私たちが自分で考えることが大切です。僕個人の意見としては、人間同士の争いはおそらくやむことはないでしょう。だからといって平和をあきらめるのではなく、その根底にあるものをしっかり認識し、後世に少しでもよりよい社会を残すことが、人間が理性を持つものとしての義務だと考えます。

「恐怖は味方じゃねぇ」
「これは人のつくったもの、必ず止められる。いつだってそうだった」
これは製作者の方たちのメッセージだと受け取りたいですし、受け取るべきです。この作品の描写が正しいかどうかではなく、正しいかどうかを判断して、行動する。大きな違いは無いようにも思いますが、単に反戦というキーワードをほじくっていては、なんの解決にもならないと感じたので書かせていただきました。

なにか別の掲示板で書くべきことを長々と、本当に失礼しました。
13 半蔵 2004/11/26 Fri 13:15:37
>ベルツ中尉さん
仰っている事はよくわかるんですけど、
あの場(M27冒頭)にいた者がそんな事を言うでしょうか?
ラーズグリーズに味方しに来たオーシア・ユークの各部隊は、それぞれの指令系統から自らの意思で外れて来た者達です、「旅団長を殴ってきた」なんていう猛者もいるくらいですから。

確かに個人的に味方についたとはいえ、同胞を殺された恨みは簡単に消える物ではではないでしょうし、心の中では「こいつらが・・」と思っている者もいるかもしれません。

ですが、さっきも書きましたが、彼らは大統領と首相の演説を聞いて、それぞれの指令系統から自らの意思で外れて来たという事は、それなりの覚悟があるはずなんです。
オーシア軍とユーク軍の理解者達が共同戦線を張るかもしれない事はわかっているはずだし、
それでも正規軍から外れて出撃してきたという事は・・・
彼らは個人的な感情はひとまず置いといて、復讐の連鎖を断ち切れた、もしくは断ち切ろうとする者達だという事になりませんか?

そんな人が、さぁこの戦いで最後にしよう!という時に、
「同胞を何人殺したか分かってるの?」などと言うでしょうか?
もしヴィスナ(確かではありませんが)のパイロットがこんな事を言えば、
同じユークから来た兵士達から猛烈なブーイングが飛ぶ事でしょうし、
そんな事はあの場にいる誰もがわかっているのではないでしょうか?

仮にヴィスナのパイロットがそんな事を言うような状態で出撃しているなら、好戦派の部隊として、M27ではラーズグリーズの敵に回っているのではないでしょうか。

毎度毎度長いレスすみません(^^;
14 427コブラ 2004/11/26 Fri 21:31:30
ども。自分の意見もちょっと言ってみたくなったので。
この作品の製作者の意図した本筋は自分も把握出来ませんが、プレーヤーが考え、このように議論することによって大変影響力のある作品になっているのではないかなと思いました。製作者が「平和」や「人の死」についてどの様なメッセージを残したかったのは個々が理解すればいいと思います。ただ自分が思うのはあまりにも言葉で安易に伝えすぎようとしてるのではないかと思います。クサイセリフは多いが深いセリフが少ない気がします。。けれどダウェンポート大尉の死は大変心に残りましたが。
種類の違う作品と比べて悪いですが、メタ○ギ○ソ○ッド2には自分は大変感動しました。現実とフィードバックしてる感が強いからかもしれません。ACはストーリーがどうこうよりACEになる爽快感を味わうのが正しい楽しみかたなんだと再認識した今日この頃でした。
15 ベルツ中尉 2004/11/27 Sat 06:02:15
>マカロニさん
ACシリーズが、反戦機能を持つべきかどうか、と、反戦性能(反戦機能の効果)について、の二つに分けさせていただきます。反戦機能とは、戦争に関わるいろいろな物事を表現して受け手に戦争についてネガティブな考え方や感覚を与えること、としておきます。自分は(報道もエンタメも)マスメディアが反戦機能を持つのは義務だと考えています。この点についてはこのサイトでの議論は止めときましょう。少なくともACE5が反戦のメッセージを含んでいることについてはマカロニさんも認識されているようですし。反戦性能について言えば、聞いたところでは今作はプロの脚本家に「戦争を描く事のモラル」についてチェックを受けたそうですしあのクサイセリフの多さからして、制作サイドが目標は相当高かったのだと思います。
>半蔵さん
ヴィスナがもし私の書いたようなセリフを言ったら、彼女自身が口に出したことにショックを受けると思います(仮定に仮定を重ねていますが...)。そういう理性だけでは押さえきれないドロドロした感情を、理論(理性)的な矛盾には目をつぶってでも、目に見える形にする(ACはゲームですからプレーヤ側にぶつける)のも演出のうちだと思います。
>427コブラさん
反戦云々と言っている自分ですがエースになる爽快感は欲しい。でも爽快感だけで終わるのは恐ろしい。だからこそクサイ(アマイ)セリフばっかり言わせてないで、ピリっとしたスパイス(演出)が欲しかったです。
16 Seliker 2004/11/28 Sun 01:16:43
おやおや、久しぶりにこのbbsを見たら面白いスレッドが。
私も実はベルツ中尉さんの気持ちが分からないでも無いです。

>クサイ(アマイ)セリフばっかり言わせてないで、ピリっとしたスパイス(演出)が欲しかったです。

私もそう思います。また、427コブラさんの

>言葉で安易に伝えすぎようとしてるのではないかと思います。クサイセリフは多いが深いセリフが少ない気がします。

という意見にも同意します。

ベルツ中尉さんが直接問題とされている箇所についてはそこまで疑問は無いのですが、
戦争をテーマにした作品としては、脚本と演出に一部問題があったのは事実と思います。
例えばチョッパーが死んだの見てせーので「チョッパ??!」は無いでしょうと。
また、M10でなんのためらいも無く輸送機を落としますが、兵員で満載の輸送機一つ落としたら
100人近く死ぬわけなんです。無抵抗の人間がですよ。
学校への機銃掃射なんてネタをいれなくても、そこをクローズアップすればそれだけで
戦争の残酷さを表現出来るはずなんです。

ただ、この問題はナガセの性格付けの問題とも絡んでいると思います。
(私はそれこそが脚本の最大の問題だと思っております。それについて話すとまた脱線してしまうので、ここでは詳しく述べませんが。)

何はともあれ、そのような問題もAC5が最高の作品を目指した結果であると思いますので、
批判するよりは素直にその姿勢を評価したいし、リスペクトしたいというのもまた正直な気持ちです。
17 Forus 2004/11/29 Mon 01:22:27
空軍パイロットというのは、他の軍と比べると一般的に士気が高いと聞いたことがあります。人同士が直に殺しあう陸軍とは違って、機体ごしの戦いであるため、相手の死を、ひいては自分の死をイメージすることが難しいと。
 AC5は反戦であろうとなかろうと「戦闘」ゲームな訳ですから、敵を殺すという(Selikerさんが言ったような無抵抗の輸送機を落とす等)行動が、結構簡略化されています。残酷な話ですが、その点に限って言えば、現実に近いという気もします。勿論この「現実」とは日本のそれではなく、たぶんにオーシアのモデルであろうアメリカのそれだとは思いますが。
18 SERA 2004/11/29 Mon 19:16:59
巷にて、有線放送でゲームソフトの売り上げランキングでAC5が挙げられた時、小耳に挟んだ会話・・・
 若者A「やっぱ売れてるな。戦闘機、本当に乗ってみたくなる」
 若者B「けど、ゲームだから(戦闘なんて)やれるんだよ」
 若者A「そうだよな」
こんな声を聞いて「あぁ、もう俺は英雄にも悪魔にもならなくても、わかる人はわかるんだ」と微笑んでしまいました。

AC5は、“おとぎ話”ですよ。
現実の世界はもっと醜悪なダイナミズムに満ちていて、それに疑問さえ持てずにいたのに、今は「本当にそれが正しいのか」「もう少しなんとかならないのか」と考える人が増えたように思う。
その先にゆくための種は、この作品にもいろいろ散りばめられていると思います。
多くの血が流されることなく“おとぎ話が現実になる”といいんですが・・・

誰もが平和のための英雄になれる、おとぎ話。
今回はオンライン化はされてなくて良かったと思います。
オヴニル・グラーバクの連中みたいなプレーヤーを相手にするのは、もう年寄りの冷や水なので。
以上、スポーツとしての“戦争ごっこ”を続けてきた“亡霊”の妄言でした。
19 Seliker 2004/11/29 Mon 23:39:27
>SERAさん

>現実の世界はもっと醜悪なダイナミズムに満ちていて、それに疑問さえ持てずにいたのに、今は「本当にそれが正しいのか」「もう少しなんとかならないのか」と考える人が増えたように思う。

私もそういう事を考えたりもしました。
特に捻らずに「さあみんなで悪玉を倒すぞ!」でストレートに収束するシナリオ後半と言い
あまりにも誠実なハーリング大統領、ニカノール首相、アンダーセン艦長のキャラと言い、
これは混沌とする世界情勢に対するアンチテーゼなのでは無いかと思います。
米大統領選後という発売のタイミングももしかしたら狙っていたのでしょうか。
大統領選後に危惧された「アメリカの分裂」の危機とそれに対し冷静さを訴える識者達。
ゲームの内容と被る部分もあります。

そういう点があるからこそ、私はこのゲームをそこまで批判するつもりにはなれない、むしろ
リスペクトしたいと思うのです。
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